失って、過ぎ去って、軌跡は過去となっていく。

 この自分語りブログを見る前に、ぜひポケモンダイアモンドパールの好きなBGMを流しながら、ゆったりと読んでくれれば幸いである。私のオススメはハクタイシティ/カンナギタウンの夜BGMなので悩んでいたら是非。

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 21度目の夏が終わろうとしていた。

 今年の夏も、異例づくしの夏であった。新型コロナウイルスによる影響は未だに収束へ向かう兆しが見えない。もう何度目かも分からない緊急事態宣言により活動自粛が促され、数多の催しや産業が夏の日差しを受けぬまま影を落としていった。

 自分はどうだったか。ワクチン接種が大学で行えるという制度を利用するために外出した以外、ろくに家を飛び出した記憶がない。いつもであれば、夏の日に中てられて、行動を起こさねば居ても立っても居られない少年心を発起されなにがしかの活動を行っていたことだろう。しかし、今年は特段何もせず、日がな一日自室に籠ってはゲームだのアニメだの、およそ引き籠りと遜色ない生きざまを晒してきた。

 もちろん、外出自粛を守るという"テイ"があったのは事実である。しかしそれ以上に、自己を家に縛り付ける理由があったのも確かだ。先に断りを入れておくと、別に人の所為だの環境の所為だのとやかく言うつもりはないのでご理解いただきたい。

 21歳。大学3年生である。大学3年生の夏とはどのようなものか、想像できるだろうか。

 大抵の学生は就職という漠然とした分岐点に立ちはじめ、自らの人生設計に着手し始める時期であろう。これはインターンを始めるとかそういう何かアクティブに行動をしかけている人間に限った話ではなく、おのずとそのような話題が同年代のうちで回りはじめ、嫌でも自覚させられるもので、なればこそ今しがたの23卒というものは苦しめられている問題なのである。

 私はどうかと問われれば、就職どころか将来に対する志の一つもできていない、ありていに言えばガキ同然の心持のまま、今に留まっている。

 小4の秋から始めた中学受験への道から私の人生の道は一本となり、大学まで直線的に進んでいた。むろん今も現在進行形でその道は続き、これから久方ぶりの分岐点となる就職に差し当たろうとしている。

 そして、現状の私はその選択から、逃げ出そうとしていた。

 いや、逃げ出すという表現では同じ選択をした人たちが同列になりかねないのであれなのだが、まぁ言ってしまえば「院進学」である。

 就職と並び与えられる権利のひとつ、院進学。学士過程を修了した者に与えられる修士への道。

 私は理系であるから、院進学を志すというのはさほどおかしいものではない。むしろ、大学内でも院進学の率の方が高いのが昨今の理系というもので、就職への道を歩もうとする者のほうが少数である。

 しかし、私は”志”などとは程遠い理由で足を踏み入れようとしている。

 先にも記した通り、私の人生は一本道で、中学以降環境の変化に乏しいものであった。これは私を形成する体験と時間を狂わせるのに十分な環境であったのだ。

 大学生となり周囲を見渡してみれば、多種多様な文化がそこには広がっていた。強烈な個々の”自我”が群を成し、複雑に絡み合って組織を構成していた。

 その時、それら文化に触れることで、己の歩んできた道が自身の時間を止めていたことに気づかされた。

 独り立ちする。就職する。家庭を持つ。

 子供の頃、漠然と描いた「普通」が、理想に変わったのはいつからだったろうか。

 子供の頃、漠然と描いた「大人」の像が、理想に変わったのはいつからだったろうか。

 否、変わってなどいなかった。変化にすら至れていなかった。

 私は未だに、それらを空想し、見えない道の先のひとつとして敷いたままの子供でいる。

 就職という現実に、自身が付いていけていない。唐突に襲い掛かってきたそれに対し、私はどうしようもなく非力で、足りていなかった。

 なんて語ってみたが、ようは私が自身を「子供」と認識していて、就職することによる「大人」の道が急に現実化していることを受け入れられていないのだ。

 20歳を超えて何を言っているんだと思うかもしれないが、いたって真面目にこれを書いている。これも時の遅れをどうしようもなく実感させられて少し嫌な気分だが。

 魔界のりりむさんをパクリスペクトしてみるか。

 「どこまでが子供で、いつになったら大人になるの?」

 最近、ふと考えることが多くなった。社会へ出るという選択を突き付けられたからだろう。

 最近まで、ギンガ団の野望を止めるためにシンオウ地方を駆け回り、ユクモ村を救うために友人たちと魑魅魍魎をなぎ倒していた。今の今までボーカロイドの話をして盛り上がり、今期の覇権アニメ予想で熱い議論を交わしていたんだ。

 なのに、ふと周りを見渡したら、みなバイトだの就活だの院試だの一人暮らしだの。どうしたんだよ、お前ら。なんで大学生になってるんだよ。どうして、俺以外大人になっていくんだよ。何も考えていない俺が馬鹿みたいじゃないか。また新しいゲームが出るんだ、遊ぼうじゃないか。

 違う。

 みな間違っていない。間違っているのは自分だ。

 気づいたときにはもう、過ぎ去った軌跡の中に、俺だけが取り残されていた。

 こうして私は、こどもともおとなとも言えない、どうしようもない人間になってしまっていた。

 だから、逃げる。大人になるその一歩を踏み出せず、適当な理由と共に、大人を拒んでいる。

 これが正しいのかどうかも分からぬまま、今はこの道を闇雲に進み続けている。

 自分らしさとは。変化する環境の中で変わらない自我とは。自分がやりたいことって。

 と、ここまで書いておいてなんか満足し始めてきた自分がいる。まずい、ここまで鬱憤さらけ出しておいてこの終わり方は怒られる。

 みんなどうやって大人になる(なった)んだろうな。気になって眠れない。

 俺は記憶を持ったままみんなと学生生活を続けていたいよ。結局、中学生になりたいんじゃなくて、あのころのメンバーでまだふざけていたいだけなんだよな。

 遠くなりゆく友の背中を見ながら、失われてしまうかもしれない現状を悲しみながら、それでも前に進み続けなければいけない。これが、人生って奴なんだろう。

 みなこれを経て生きているのか。俺には想像もできない。なんて苦しみを味わっているんだ。俺には理解もできない。

 環境の変化を全く受けてこなかったツケが、ここにきて押し寄せているのを感じる。

 そして同時に、変化しない日々に対する恐怖が襲ってくる。

 変化を恐れ、変化しない将来に怯える。相反した二つの感情が俺を追い込んでいる。

 変わりゆくものを受け入れ、その中に輝く変わらぬ自己を見出す。それが、人生なのか。

 いやそれっぽいこと言ったけどやっぱ無理!今すぐ高校生活に戻りたい!子供のままで居たい働きたくない就活したくない正直修士も行きたくないこのままがいい!

 ……大人になるって、大変だ。

 ここまで心情を書き散らしておいて、結局最後には将来への漠然とした不安だけが残ってしまった。ひどい。

 こんな中で、変わっていく環境の中で、私は今ある周囲の環境は変わらぬものでありつづければと思う。

 ゲームに誘ったり、特に何もなく通話したり、意味もなく変な旅に出てみたり。

 そんな”環境”たちが、今後もあり続けてくれることを、心から願う。苦しい時だけ神頼みが日本人。頼んだぞ。

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 ここらで筆を置こうと思う。話があっちこっちに散らばったままですげぇ読みにくい。二度と読み返したくない。キモいもん。

手で包むと書いて、抱える。

はい、じゃあ適当に2人組作って~

 チームやグループという言葉を聞いて思い浮かべるイメージと言えば何であろうか。リーダー決めで揉め、方針決めで揉め、なかなか進捗が良くないまま気づけば締切……なんて、苦い思い出が頭をよぎった人も少なくないと思う。

 かくいう私も、チームやらグループやらで良い思いをしたことはあまり無い。勿論、気のおけない人と取り組む活動などは積極的にやってきたし、高校時代なんかは部長を1年間務めたりと、それなりに団体行動をこなしてきたから、関わらずに嫌っているわけではない。寧ろ、やれリーダーをやれだの、やれ資料を作れだの……グループワークの負の面を一身に受ける被害請負人だったと言える。いやマジで、俺に投げてきたやつ全員ブラックリストに逐一追加しているので覚えてろよ。

 そんな私がなぜ今更になってチーム・グループの話をする気になっているのかというと、今個人的に抱えている問題がこれに関することだからだ。問題、と言っても人によってはものすごく些細で、妄想で、つまらないものだと思うかもしれない。というのも、「ゲームに対するモチベーションの相違」というのが今回のメイントピックだ。

ぶつかって転がって強くなりたくって

 まず言っておかなければいけないのは、これから私が属する特定のグループについての話をするが、それは私が勝手に抱えているだけで全体で問題化しているとかそれが原因で私がどうこうするとかそういうのではない。ただ私が勝手にブログのネタとして書こうとしているだけである。お間違えの無いように。試験の見直しレベルで先入観捨てて読んでください。

 グループと言っても友人だけの少数グループで、やりたい時にやりたい人が集まってゲームをするグループだ。中学からのよしみで、ありがたいことに大学に進学した今も続いている、太い太い縁の1つ。

 そんな彼らに対して、今回の問題が(個人的かつ勝手に)発生したのが約5ヵ月前。ある5対5のシューティングゲームが正式リリースした。このグループでは、以前から他のシューティングゲームをプレイしており、そのゲームに飽きが見え始めた頃にタイミングよくリリースされた注目の新FPSということでプレイを始めた。

 以前プレイしていたFPSでは、主にアンレートのマッチを行い、レーティングマッチは少し潜るだけのエンジョイ勢を貫いていた。決してただプレイしていたわけではないし、プロの動画や情報を集めて強くなろうという努力は怠っていなかったが、このようなスタイルで遊んでいた要因として、環境が不十分であったことが挙げられる。家電量販店でも売られているようなノートパソコンとマウスを使って遊んでいた私たちは、当然だが様々な問題に直面した。FPSプレイヤーがみれば言い訳としか捉えられかねないような問題だったが、プレイヤースキルでは解決できない多くの問題が付きまとい、ランクという場に足を踏み込めずにいた。実際のランクもゴールド(下の上ぐらい)程度で、回数を重ねることもないので上昇も下降もしない実に面白みのないレベルだった。

 そんな環境でも、私たちはエンジョイらしく楽しくプレイしていたし、アンレート戦でも様々なレベルの相手に対し全力でプレイをしていた。

 しかし、新作FPSの登場とその魅力的なゲーム性に胸を撃たれたのは、他でもない私だった。エンジョイでプレイしていたFPSと特色の似た5vs5のシューティング。プレイしてからドはまりするまでにそう時間はかからなかった。そして、沼に顔まで浸かったところで、私はある決意をした。「このゲームではレート戦で実力を高めよう」と。このゲームで遊ぶ私の環境も最新の環境からすれば稚拙ではあるが、それでもゲーミングと呼ばれるデバイスを使い、環境負けは最小限に留められている。以前の環境からは大きく進歩し、それなりに戦える環境を整えられている。だからこそ、このFPS世界に勝負しに出ようと思い立った。そして、このゲームをグループに持ち掛けたのである。

 当初、グループのメンバーの中にはこの新作FPSに対して良くない顔をするメンバーもいた。その人は"デスしてしまったらそこで終わり"というタイプのFPSが苦手で、バトルロイヤルなどもそれが理由であまりプレイしなかった。嫌々な中で半ば強引にプレイをさせたところこれが見事に受けたらしく快くプレイを受け入れてもらい、グループでは以降このFPSを中心にプレイすることとなった。

 ここで、アンレート問題が発生する。当時はアンレートのみ実装されており、レーティングはグループでのプレイが決まった少し後になって実装された。

 レートが実装されたことで勇みレートに乗り込んだ私たちを襲ったのは、「個々のレートの乖離」である。これはこれは後々大きな問題となるが、当時このゲームは『グループ内のレート差がある程度存在してもレート戦のマッチングが可能になる』という、フレンドとのマッチに優しい設定を取り入れてくれた。そのため、多少レートに差があってもマッチングを行ってくれた。レート戦に潜るとき、友人が「お前がもしレート戦でグル内でレート差あったらレートでプレイする?」と聞かれた時、私は迷わずに「もちろん一緒にプレイする」と答えたほど、レート差マッチに対する迷いはなかったし、実際にプレイをしていて勝敗が付いても悔しさこそあれレート差マッチを恨むことはなかった(昇格戦が分かりにくかったけど)。グループでレート戦に潜っても普通にマッチングするようなレート差であったし、特に迷うことなくプレイを続けていたが、大学生活の急激な変化によって継続的な団体でのプレイが少なくなると、次第に”プレイ時間のずれ”が出来た。

 やる気に満ち溢れていた私は、オンライン授業の利点に託けて「朝練」と称して朝からゲームをプレイし、マッチを数戦こなしていた。と言ってもゲーム自体が1戦に30分40分と余裕で時間を食うのであまり回数をこなしていたわけでもないが。そしてこの「1マッチに時間がかかるゲーム性」も、問題を肥大化させることになる。

 1戦に40分かかるゲームをプレイしようとなると、他の事にある程度ケリを付けて時間を取ってプレイする必要がある。ウォームアップの目的でアンレート戦を1回プレイするとそれで40分。理系学生という多忙なメンバー(私もだが)にこの時間制限は重くのしかかり、多くプレイ回数を重ねることが出来ない。そのため、せっかく人が集まっても本腰を入れてプレイすることが出来ずにアンレートでおしまい、となってしまう事が常となっていった。あーあ。

 さらに、朝練でレートマッチに潜るようになると、メンバー間のレート差が大きなものになっていった。これにより、簡単にできないゲーム性と広がるレート差でメンバー同士のマッチング問題を形成した。

 かくして以前のFPS同様アンレート暮らしをしながら情報やプロマッチを観戦する毎日を送っていくことになった。特に私は毎週のように行われる国内大会を全て観戦し、国外戦もハイライトやクリップで確認、様々な動画投稿者の動画視聴など、様々な情報を手に入れてはメンバーに共有していた。

特に意味はないけど長すぎるしこの辺で一発見出し挟んどくか!w

 さて、ここら辺で天才なあなたは「あれ!?時間が問題で5か月前なら夏休み挟んでるよね!?短期間だけど解決できることあったんじゃないの!?」という思いが出てきているところだと思う。天才だろお前。その通り、当初私たちにも夏休みにレート戦という目標があった。

 そして、実際夏休みに入ってからはレートに潜っていた。しかし時間がたつにつれレートに行かなくなっていた。この理由について深く思い出せないが、当時私の調子が著しく悪かったことも理由の一つだったかもしれない。いやマジで何で夏休みレート行かなかったんだ。覚えてねぇし分からん。すまんここまで真面目に読んでくれた人たち。俺がすべて悪い。俺を殴ってくれ。

 で、今に至る。やっとだよもう3000字書いてるよ。本題に行こう。

本題に入ります

 さて、これまで理屈こねてアンレート行ってる意気地なしを隠していたわけだが、ここで問題の「メンバー間のモチベ差」のが出てくる。アンレートに潜っていた私たちの中で、前述した手のひら返ししたメンバー(以下Aとする)が追加コンテンツを期に高いモチベーションを示した。私もそれに便乗し、時期を決めたうえでレート戦に挑戦しようと提案し、これが決定した。時期を決めたというのも実はこの二人どちらも理系学生であり、私よりも彼の方が数段忙しいという地獄に身を投じている。そのため、新規キャラ追加を目安にランク挑戦に行こうと決めた。

 やっとか!と思ったお前、ここからなんだ。実はこのアップデートの一つ前、追加コンテンツが来たパッチでレート戦に大きな修正が来た。それが「パーティーのレート差許容値を半分に厳格化」である。レートを細かく説明するのは面倒なので省くが、今までなら2つ下の色までマッチできたのが1つ下の色までになったのである。

 さて、先の記述でメンバー間のレート差を述べたが、これがマッチングできるレート差からマッチングできないレート差になってしまった。ヤバい。

 レート差があるならレートが低い人がレートを上げればいいのでは?となるが、ここでモチベーションの差につながってくる。

 *1

 はっきり言ってしまうと、全員モチベーションが違うように感じる。

 私は上手くなるために意見することも辞さないタイプ。試合ごとに振り返りとかしてるし、試合が終わると結果を見ながらここがよかった、ここがダメだったというのを(一人で)話しているタイプ。一人で話すのは悪いと思っている。あと自分ができたところばかり「俺ココカッコよかったくね!?」してしまうのは許してほしい。悪いと思っていますマジで。

 他のメンバーには試合中ラウンドごと振り返りとか、振り返りせずに試合をこなしていくタイプとか、とにかくそれぞれでタイプが違う。しかも使うロールも各人で決まっているため他キャラのアドバイスなどは一層難しくなってくる。

 これで何が起きるかというと、試合やラウンドの後にあるフリータイムで意見交換が始まると微妙な空気ができるという点である。

 意見がぶつかり合ってしまうのは仕方がないが、常日頃から情報を集めつつプレイしているタイプの人間と情報ではなく実際のプレイをこなす人間でぶつかり合うと、情報の正義と経験の正義でぶつかり合い、それを引きづってしまう。もちろんどちらも正しいことを言っており、往々にしてどちらも間違っているところがある。

 振り返りを行いここはこうする方がいいんじゃないか、という意見を出すのはとても良いと私は思っている。自分自身ラウンド後やマッチ後は積極的に行うようにしているし、褒める部分は無限に褒めている。

 しかし、ラウンド後ではつまり試合中であり、そこで空気感を微妙にしてしまうと以降の連携に問題が生じてしまう。

 言い方の問題もある。言うタイミングの問題もある。言う人間の知識・経験の無さの問題もある。多くの問題を抱えたこのモチベーション差から来る衝突は私を強く悩ませている。

 自分が他人事のように書いているが、実際自分も加害者の一人である。特に私はグループ内でも多くのロールをこなし、プレイ回数も多い。動画なども人一倍見るようにしているし、知識も多く付けているつもりでいる。そうなると、自己の指摘を正当化しようとしてしまい相手の意見を取り入れなくなることがある。これについても私が全面的に悪い。

 顔もわからないどこかの誰かとネット上での付き合いでプレイしているならともかく、中学からの長い長い付き合いでこの衝突となると、まぁ面倒なことは想像に難くないだろう。

見出し付けるの下手すぎるなと自分でも思っている

 この問題、解決方法は簡単で、グループ内でモチベーションを確認・統一することである。

 分かってんならやれよ!という意見は置いておいて。こんなこと言ったらマジで衝突するに決まってる。というか可能性によっては私が本当にこのメンバーでプレイすることがなくなるかもしれない。無理強いをしたいわけではないが、このゲームをプレイするうえで私自身が「遊びたいんじゃなくて上手くなりたい」と宣言してプレイしていることもあるので、もしただ遊ぶだけならばアンレートがしたくなった時だけ顔を出す場所になってレートはメンバーを選んだり他のグループを探してマッチングするかもしれない。そういう所あるから、私。

 マジで長々と書いてきたわけだが、言いたいのはこう。

 「強くなりたいけど環境は面倒じゃない場所がいい」タイプと「強くなるためには変わる意識が必要である」タイプがいるから衝突が起きてそれが試合を面倒にしているよってこと。これに対してメンバーで気にしている人も気にしていない人もいる。そして私はこの現状に口を出してしまうと現状が変化してしまうのではないかと危惧しているということ。俺ガイルでいうなら修学旅行編の海老名とか三浦なのか。違うか。違うな。

お得意のまとめターンです

 ほら、つまらないでしょ?思春期みたいな青春でしょ?でもそんな綺麗な感じじゃないよ。モチベーションの統一はとても難しい。私たちグループは友人の集いなので、リーダーだとかまとめ役なんてのは存在しない。さて愚痴にしか見えないけど俺の主観ということで正当化して逃げているこの話題だが、公開しようか今も悩んでいる。だって彼らも読めるもん。読んだら言われるじゃん絶対。いや彼らが悪い事は無いし俺が勝手に悩んでいるだけでそれが悪いことでもないから負目を感じることもないわけなんだけれども。まずは一言、まずは一歩を踏み出す必要がある。それがこんな形でも。抱えるものは手で包めるぐらいの大きさだけで良い。それが抱えるって意味だから。言葉にしなきゃわからないって言ったって、言葉にしたら変わるものだってある。言葉が築く関係があれば、言葉が壊す世界もある。

これまでは持論、ここからも持論となります

 シューティングを楽しむ人に対して俺が持つ考えを言います。これは100割私が正しいです。「自分が悪い可能性を一番最初に考えろ」。これです。確かに味方の動きが悪いかもしれない。味方のKDが低いかもしれない。少人数シューティングゲームだと特に味方一人の影響が大きいかもしれない。でも、まず自分はどうだった?を挟んでください。1分ぐらい。良いですか。1分って結構長いんですよ本当に。自分のこと考えて、あぁこここうだったなってなったら味方見て下さい。ほら、今味方死んだぞ。おい何やってんだ味方!そこぼったちしてたら撃ってくださいっつってるようなもんじゃねぇか!!!!

 

 

*1:ここからマジで主観で書いていくので注意。結構偏ります

大学生って大変なんやな

今年の大学生はお祭り騒ぎ

 秋らしさが一層増し空気も冷たくなる今日この頃。現役大学生として、毎日パソコン画面を睨めつけるうだつの上がらない生活を送っている私だが、皆様いかがお過ごしだろうか。オンライン授業だけでなく、サークルにバイトに予備校にと、それぞれの人生を歩んでいるに違いない。それにしてもサークルとバイトのどっちもしている大学生って本当に俺と同い年なんだろうか。高校の活力をそのまま持ち越して生きているタイプなんじゃなかろか。文系理系の違い!とか都内に住んでるか住んでないか!とか、探せば言い訳を見つけることはできると思うが、それでも普通にすごい。とんでもねぇ。”大学生は人生の夏休み”なんて言うけれど、現役大学生が真実を述べます。大学生は人生の下積み期です。薔薇色人生なんてそこにはない。力づくで勝利を勝ち取る泥臭い忍耐と努力の時期。サークルとバイトを両立させているそこのお前。生きているだけで偉いので偉人名鑑に登録するように出版社に連絡しておくので前金として俺の口座にお金振り込んどいてください。

 サークルと言えば、11月初旬にオンラインで文化祭がある。昨今は大学一の祭事すらオンラインで行われる世の中らしい。オンライン文化祭ってなんだとしか思っていない俺だが、友人に話を聞くとオンライン上で舞台を上演するためにオフライン授業のない日でも大学まで通っているらしい。そういえばうちのサークルも電子版出すとか出さないとか言ってたような気がするな……サークルの週例会議出てねぇからなんもわかんねぇな……。でも出せるだけ良いほうだと思う。オンラインってことはサイトを使って出店するわけで、その申請ができる環境でないと出店すらできない可能性が出てくるわけで……。考えただけで忙しさが尋常じゃない。ようやるわマジで。

 まぁ何を言おうと特に仕事もない一般理系学生なので、今更文化祭に対してとやかく言ったところですべては後の祭りになるのがオチなんですケド……理工の文化祭もオンライン開催するらしいし、去年はサークルの仕事で全くいかなかったから今年はチラッと覗こうかな……。あ、そう考えるとオンラインだから一人で行くの気楽だな。暇人には意外と優しいのかもしれん。11月初旬の俺が忙しくないことを祈ろう。私たちは課題撲滅運動を推進しています。11月は課題撲滅月間!今決めました皆様よろしくお願いいたします。

ゼミってなんの言葉が由来なの?

 同級生の文系たちが口をそろえてゼミという言葉を発し始めたので、夏の終わりにセミファイナルの見過ぎで気が狂ったのかと不安になったがどうやらそうではないらしい。大学生は研究室のことをゼミと呼んで大学生らしさを自らの人生に言い聞かせているようだ。大学生はすぐに横文字使いたがるしな、これは仕方がない。

 とはいえ研究室もといゼミに一喜一憂している同級生が出てきたことに時間の流れを感じざるを得ないのは事実で、これから自らが歩むであろう地獄の1丁目を彼らが見せてくれていると思うと、他人事ハートを捨てるしかない。

 ゼミに入るための選考で面接やら課題やらなんやらかんやら色々とやらされて、入れるか否かに杞憂する人たちを見ると、大学推薦を決めるための担任との個人面談を思い出してしまう。大学でどの学部に入れるかは完全に成績順で決められる我が校の制度では、やはり微妙な成績の者に対しての反応が微妙になる。担任も確定的なことを言えないし、だからと言って否定してしまうと生徒が路頭にさまよってしまう。かくいう私もその一人で、希望した進学先をめちゃめちゃ渋られた。そうして志望先を少し変えてしまった結果、定員割れを起こして変更した後の第1希望に進学。結局大学の進学制度に助けられて希望の学科には進めたものの、あの時の選択が尾を引いたのは間違いないと思う。当時の担任に対する思いは割と渋いものがある。あの野郎適当ばっか言いやがって……。ちなみに成人の集いに行く気がない理由がここにもあったりする。本当に余談。

 何が言いたかったかというと、人生で大事な選択をするときは、自分の信じる道を行くべき。そこで失敗したとしても、そこまでの努力が全くもって意味をなさなかったことはない。逆に適当に受け流そうと選択を変更してしまうと、変にうまくいってしまった時に自分を苦しめ、努力もしないために失ったものを追い続けるようになってしまう。

 大学生は人生の夏休み、なんて言うけど確かにそうかもしれない。夏休みは自分のやりたいことをやる時期だ。大学生の時期ぐらい、自分の選択を貫き通して努力を重ね、成功まで忍耐して泥臭く生きていこうじゃないか。大学人生に幸あれ。頑張ろう現役大学生。頑張れ。