失って、過ぎ去って、軌跡は過去となっていく。

 この自分語りブログを見る前に、ぜひポケモンダイアモンドパールの好きなBGMを流しながら、ゆったりと読んでくれれば幸いである。私のオススメはハクタイシティ/カンナギタウンの夜BGMなので悩んでいたら是非。

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 21度目の夏が終わろうとしていた。

 今年の夏も、異例づくしの夏であった。新型コロナウイルスによる影響は未だに収束へ向かう兆しが見えない。もう何度目かも分からない緊急事態宣言により活動自粛が促され、数多の催しや産業が夏の日差しを受けぬまま影を落としていった。

 自分はどうだったか。ワクチン接種が大学で行えるという制度を利用するために外出した以外、ろくに家を飛び出した記憶がない。いつもであれば、夏の日に中てられて、行動を起こさねば居ても立っても居られない少年心を発起されなにがしかの活動を行っていたことだろう。しかし、今年は特段何もせず、日がな一日自室に籠ってはゲームだのアニメだの、およそ引き籠りと遜色ない生きざまを晒してきた。

 もちろん、外出自粛を守るという"テイ"があったのは事実である。しかしそれ以上に、自己を家に縛り付ける理由があったのも確かだ。先に断りを入れておくと、別に人の所為だの環境の所為だのとやかく言うつもりはないのでご理解いただきたい。

 21歳。大学3年生である。大学3年生の夏とはどのようなものか、想像できるだろうか。

 大抵の学生は就職という漠然とした分岐点に立ちはじめ、自らの人生設計に着手し始める時期であろう。これはインターンを始めるとかそういう何かアクティブに行動をしかけている人間に限った話ではなく、おのずとそのような話題が同年代のうちで回りはじめ、嫌でも自覚させられるもので、なればこそ今しがたの23卒というものは苦しめられている問題なのである。

 私はどうかと問われれば、就職どころか将来に対する志の一つもできていない、ありていに言えばガキ同然の心持のまま、今に留まっている。

 小4の秋から始めた中学受験への道から私の人生の道は一本となり、大学まで直線的に進んでいた。むろん今も現在進行形でその道は続き、これから久方ぶりの分岐点となる就職に差し当たろうとしている。

 そして、現状の私はその選択から、逃げ出そうとしていた。

 いや、逃げ出すという表現では同じ選択をした人たちが同列になりかねないのであれなのだが、まぁ言ってしまえば「院進学」である。

 就職と並び与えられる権利のひとつ、院進学。学士過程を修了した者に与えられる修士への道。

 私は理系であるから、院進学を志すというのはさほどおかしいものではない。むしろ、大学内でも院進学の率の方が高いのが昨今の理系というもので、就職への道を歩もうとする者のほうが少数である。

 しかし、私は”志”などとは程遠い理由で足を踏み入れようとしている。

 先にも記した通り、私の人生は一本道で、中学以降環境の変化に乏しいものであった。これは私を形成する体験と時間を狂わせるのに十分な環境であったのだ。

 大学生となり周囲を見渡してみれば、多種多様な文化がそこには広がっていた。強烈な個々の”自我”が群を成し、複雑に絡み合って組織を構成していた。

 その時、それら文化に触れることで、己の歩んできた道が自身の時間を止めていたことに気づかされた。

 独り立ちする。就職する。家庭を持つ。

 子供の頃、漠然と描いた「普通」が、理想に変わったのはいつからだったろうか。

 子供の頃、漠然と描いた「大人」の像が、理想に変わったのはいつからだったろうか。

 否、変わってなどいなかった。変化にすら至れていなかった。

 私は未だに、それらを空想し、見えない道の先のひとつとして敷いたままの子供でいる。

 就職という現実に、自身が付いていけていない。唐突に襲い掛かってきたそれに対し、私はどうしようもなく非力で、足りていなかった。

 なんて語ってみたが、ようは私が自身を「子供」と認識していて、就職することによる「大人」の道が急に現実化していることを受け入れられていないのだ。

 20歳を超えて何を言っているんだと思うかもしれないが、いたって真面目にこれを書いている。これも時の遅れをどうしようもなく実感させられて少し嫌な気分だが。

 魔界のりりむさんをパクリスペクトしてみるか。

 「どこまでが子供で、いつになったら大人になるの?」

 最近、ふと考えることが多くなった。社会へ出るという選択を突き付けられたからだろう。

 最近まで、ギンガ団の野望を止めるためにシンオウ地方を駆け回り、ユクモ村を救うために友人たちと魑魅魍魎をなぎ倒していた。今の今までボーカロイドの話をして盛り上がり、今期の覇権アニメ予想で熱い議論を交わしていたんだ。

 なのに、ふと周りを見渡したら、みなバイトだの就活だの院試だの一人暮らしだの。どうしたんだよ、お前ら。なんで大学生になってるんだよ。どうして、俺以外大人になっていくんだよ。何も考えていない俺が馬鹿みたいじゃないか。また新しいゲームが出るんだ、遊ぼうじゃないか。

 違う。

 みな間違っていない。間違っているのは自分だ。

 気づいたときにはもう、過ぎ去った軌跡の中に、俺だけが取り残されていた。

 こうして私は、こどもともおとなとも言えない、どうしようもない人間になってしまっていた。

 だから、逃げる。大人になるその一歩を踏み出せず、適当な理由と共に、大人を拒んでいる。

 これが正しいのかどうかも分からぬまま、今はこの道を闇雲に進み続けている。

 自分らしさとは。変化する環境の中で変わらない自我とは。自分がやりたいことって。

 と、ここまで書いておいてなんか満足し始めてきた自分がいる。まずい、ここまで鬱憤さらけ出しておいてこの終わり方は怒られる。

 みんなどうやって大人になる(なった)んだろうな。気になって眠れない。

 俺は記憶を持ったままみんなと学生生活を続けていたいよ。結局、中学生になりたいんじゃなくて、あのころのメンバーでまだふざけていたいだけなんだよな。

 遠くなりゆく友の背中を見ながら、失われてしまうかもしれない現状を悲しみながら、それでも前に進み続けなければいけない。これが、人生って奴なんだろう。

 みなこれを経て生きているのか。俺には想像もできない。なんて苦しみを味わっているんだ。俺には理解もできない。

 環境の変化を全く受けてこなかったツケが、ここにきて押し寄せているのを感じる。

 そして同時に、変化しない日々に対する恐怖が襲ってくる。

 変化を恐れ、変化しない将来に怯える。相反した二つの感情が俺を追い込んでいる。

 変わりゆくものを受け入れ、その中に輝く変わらぬ自己を見出す。それが、人生なのか。

 いやそれっぽいこと言ったけどやっぱ無理!今すぐ高校生活に戻りたい!子供のままで居たい働きたくない就活したくない正直修士も行きたくないこのままがいい!

 ……大人になるって、大変だ。

 ここまで心情を書き散らしておいて、結局最後には将来への漠然とした不安だけが残ってしまった。ひどい。

 こんな中で、変わっていく環境の中で、私は今ある周囲の環境は変わらぬものでありつづければと思う。

 ゲームに誘ったり、特に何もなく通話したり、意味もなく変な旅に出てみたり。

 そんな”環境”たちが、今後もあり続けてくれることを、心から願う。苦しい時だけ神頼みが日本人。頼んだぞ。

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 ここらで筆を置こうと思う。話があっちこっちに散らばったままですげぇ読みにくい。二度と読み返したくない。キモいもん。